お仕事
ウチナーンチュが海外で働くということのハードル
私のお父さんは27歳に、ナウル共和国というところに出稼ぎにいった。
お給料は日本で貰うより、2倍くらい高かったそうだ。
帰ってきて次はマレーシアに行かないか?との話があったそう。
でもその頃には、マレーシアで貰う賃金よりも日本でのお給料の方が高かったそう。その後父は起業した。
また親戚の話を聞いたら、ニューギニアに行って働いていただとか、
つい最近までブラジルに行っていた人など。
みんな英語がとても堪能、ということはないけれど
なんとかやって仕事をしお金を稼いでいたんだからすごいよね。
沖縄の人は、もともと海外で働くことのハードルは高くなかったのか、私の周りにそういう人が多いのか。きっと世界のウチナーンチュ大会という他では類をみない大会があるので、
沖縄の人は世界に出てもやっていける素質があるのかも。
古くは中国との貿易で成り立っていたしね。
私も語学を勉強するのもいいけれど、1年に1回は海外に行きたいなー。
そして観光するだけでなく、自分ができることをその土地でやりたい。
2008年は北京でライブもしたから、今度はアメリカでやりたいなー笑。
と、ひそかに夢見るわたしでした。
あー。お腹痛い。
では、おやすみなさい。
■キラキラ天安門
お給料は日本で貰うより、2倍くらい高かったそうだ。
帰ってきて次はマレーシアに行かないか?との話があったそう。
でもその頃には、マレーシアで貰う賃金よりも日本でのお給料の方が高かったそう。その後父は起業した。
また親戚の話を聞いたら、ニューギニアに行って働いていただとか、
つい最近までブラジルに行っていた人など。
みんな英語がとても堪能、ということはないけれど
なんとかやって仕事をしお金を稼いでいたんだからすごいよね。
沖縄の人は、もともと海外で働くことのハードルは高くなかったのか、私の周りにそういう人が多いのか。きっと世界のウチナーンチュ大会という他では類をみない大会があるので、
沖縄の人は世界に出てもやっていける素質があるのかも。
古くは中国との貿易で成り立っていたしね。
私も語学を勉強するのもいいけれど、1年に1回は海外に行きたいなー。
そして観光するだけでなく、自分ができることをその土地でやりたい。
2008年は北京でライブもしたから、今度はアメリカでやりたいなー笑。
と、ひそかに夢見るわたしでした。
あー。お腹痛い。
では、おやすみなさい。
■キラキラ天安門
タグ :天安門世界のウチナーンチュ大会